いのちを包む言葉 米田順昭(大寂山最禪寺)

 先日の新聞に、借金の「なし崩し」や、「げきを飛ばす」の本来の意味を理解している人が二割程度であることが、文化庁二〇一七年度国語に関する世論調査で分かったという記事がありました。時代の変化とともに言葉の意味も大幅に変わるのでしょうか。しかし、同じ記事に、あるべき言葉の使い方として「書き言葉も話し言葉も正しく使うべきだ」と答えた人が四七・六%もあるという調査結果もありました。多くの方々が、言葉の正しい意味や、言葉の持つ力に関心を持っているということなのでしょう。ちなみに「なし崩し」の正しい意味は「少しずつ返していくこと」「げきを飛ばす」は「自分の考えを広く人々に知らせ同意を求める」とありました。

 ある時、ご門徒さんとお話をしておりますと、日常語の中で仏教と通じている言葉が意外に多いという話になりました。私は「実は《大丈夫》という言葉も仏教に通じていますよ。仏さまを意味する呼び名の中に「調御丈夫」という言葉があるのです。本当に大丈夫と言えるのは仏さまだけかも知れませんね」「家具がガタガタいう時《ガタピシする》と言いますが、あれは《我他彼此》と書く仏教語なのです。自分と他人、あれやこれと物事を対立してとらえているから、そこから衝突や摩擦が生じるというのです。人や自然との繋がりを大事にしなくてはいけませんね」などお話ししました。(『くらしの仏教語豆辞典』文・辻本敬順より)

 時折「南無阿弥陀仏ってどんな意味ですか」と尋ねられます。親鸞聖人は、お六字を釈されて「本願招喚の勅命なり」(『教行証文類』註釈版一七〇頁)如来の我に帰せよと喚び続けておられる喚び声であるとお示しです。つまり、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀さまが私に向けて願いをかけて下さり、「安心しておくれ、私がそばにいるよ。あなたはかけがえのないいのちを生きているのですよ」と私のいのちを包んで下さるお言葉なのです。

 先日友人がこんな話をしてくれました。大人が子どもに向けて言う言葉で多いのが「早くしなさい」なのだそうです。朝は「早く起きなさい。早くご飯食べなさい。早くしないと学校に遅刻するよ。」学校では「早く着席しなさい。早く授業の準備をしなさい。トイレなら早く行きなさい。」疲れて家に帰ると「早く宿題しなさい。早くお風呂に入って早く寝ないと又明日寝坊するよ。」と言われます。これでは子どもの気の休まる時がありません。すると、その友人の保育園では、園児を部屋に誘う時「早くしなさい」を使わずに「みんな、そろそろお部屋入ろうか。先生待ってるよー」と誘うのだそうです。早く来る子も、遅くなる子もいます。でも、先生はずっと待ってくれているのです。早くできない時もあります。しかし、そんな時でもこの私を待って下さる、受け止めて下さる世界があることは有難いことです。

 子どもでも大人でも、大きな失敗をした時や、うまくいかない時などは不安になります。ともすれば、生きている意味を見失ってしまうこともあります。そんな時、あなたはかけがえのない方です、あなたが生きていることはとても意味のあることなんですよと、苦悩する私の全人生を受け止めて下さる言葉に出遇うことは大きな支えとなるのでしょう。

  無慚無愧のこの身にて
  まことのこころはなけれども
  弥陀の回向の御名なれば
  功徳は十方にみちたまふ         (『愚禿悲歎述懐讃』註釈版六一七頁)

 人に恥じ、天に恥じる心のないこの身であり、真実清浄の心はないけれども、阿弥陀如来が回向された名号ですので、その功徳は十方世界にみちみちておられると、親鸞聖人はご和讃されています。真実の心がなく、苦しみ悲しみながらでしか生きていくことのできないこの私を、そのまま包んで下さっている仏さまのお言葉が、南無阿弥陀仏のお六字だったのです。

 南無阿弥陀仏の正しいおいわれをお聞かせ頂きましょう。お念仏は咒文でもなく、私の願い事を叶えるための手段でもありません。私がお念仏申しながら生きる人生は、そのまま、阿弥陀さまが私を「大丈夫。あなたは独りじゃないよ。あなたの人生は尊い意味を持っていますよ」と包んで下さっている姿だったのです。

著者のご紹介

大寂山最禪寺 米田 順昭
(著者のブログ一覧)